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あなたが、支えたい、助けたい、励ましたいと願い、心をかけておられるのはどなたでしょうか?

娘さん、息子さん、ご自身の兄弟・姉妹、親戚でしょうか?もしかしたら心身の健康を崩してしまった職場の同僚、昔からの友人、ひきこもっていると伝え聞いた近所のお知り合いかもしれません。痛みと悲しみに打ちひしがれた相手を前にして、私たちの多くは言葉を失い、もどかしさや戸惑いを感じます。心を閉ざしてしまった人、困難な状況にある大切な人にどう寄り添うことができるのか、もしかしたら、あなたご自身も悩み、困惑されているのではないでしょうか。

  • どう声を掛けたらいいのか、わからない。

  • 部屋にこもっている彼・彼女がいったい誰とつながっていて、どういう状態で、具体的にどんなサポートを必要としているのか、わからない。

  • 「がんばれ」と激励したら連絡が取れなくなった。

  • 何も変わらない。絶望を感じる。

  • 長期化していて出口が見えない。

  • 疲れてしまった。

  • 自分だけでは、家族だけでは背負えない・・・。

  • 自分には、彼・彼女に関わる忍耐がない、重く感じてしまう。

  • もっと”愛”のある人になりたい。

  • 祈ってほしい。

あなたにも支えが必要です。わたしたちの教会はあなたがSOSを発して、相談してくださるのを待っています。

状況がより深刻なケースでは適切な専門機関のサポートを得ることも大切です。しかし、癒しと回復は孤立されている当事者おひとりの課題ではありません。彼・彼女と直接または間接的に関わっておられる ”まわりの人々” が神の愛と許し、深い心の癒しを受け取り、”変わる” ことも当事者の方々に大きな影響を与えます。絶えない将来への不安、社会的プレッシャー、人目、過去の傷、ゆがんだ物事の捉え方や厳しく批判的な価値観などから私たちを真に解放し、癒すことができるのは生ける神であり、聖書の真実のことばです。恵みにより、信仰によって生きる人生は「愛」「喜び」「平和」「寛容」「慈愛」「善意」「誠実」「柔和」「自制」をもたらします。このような変化と揺るがない希望を私たちが己の人生に見出すとき、その祝福をまわりへと広げてゆくことができるのです。

「神は愛です」

(ヨハネの手紙 第一 4章16節)

「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないためです」

(ヨハネの福音書12章46節)

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです」

(コリント人への手紙第二 1章4-5節)

実際、誰かを愛し、守り、助けたいと願う私たちは弱く、それぞれ失敗や悩みがあり、完璧な存在ではありません。そんな不完全で不安定な私たちが、悩みと苦しみの渦中にある人に寛容と柔和さ、絶えない忍耐と希望をもって寄り添うには、決して揺らぐことのない ”神の愛” が必要ではないでしょうか。人を絶望と暗闇のふちから本当の意味で救い出し、希望を与えることができるのはキリストです。悩み苦しまれている人々を真の意味で救うことができるのは彼らが神によって「愛されている」「許されている」「新しい人生がある」という真実ーキリストの福音だと私たちは信じています。まず、あなたご自身でこの福音を聞いて、神にある希望と信仰と愛に触れてみませんか? ぜひ、ご連絡ください。大切なご家族・友人の苦しんでいる状況に心を痛め、彼らの回復と最善を願い、愛を実践しようとされているあなたご自身が、励まされ、支えられることができようサポートを得てください。

「いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です」

(コリント人への手紙第一13章13節)。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

-マタイの福音書より